柯潔「大帝」 11歳で運良く入段して嘗めた辛酸

Posted on 2015/02/19

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[原文URL] http://sports.sina.com.cn/go/2015-02-03/12217506909.shtml

[※翻訳者の中国語レベルは極めて未熟ですので、この記事を何らかの情報ソースとして使うことはご遠慮ください。なお、正確さに特に自信のない訳文については、下線を付してあります。]

2015年2月3日 信速時報

17歳4ヶ月の柯潔は、自らの天賦と努力によって、「名を成すならば早いほうがよい」という言葉の本来の意味深長さを証明してみせた。

1月14日、第二回「百霊杯」世界囲碁オープン戦の決勝第五局は広東省珠海市にて幕を閉じた。白番の柯潔四段が272手まで邱峻九段に中押し勝ちをおさめ、3勝2敗で優勝を勝ち取った。これにより、柯潔は世界戦で優勝した16人目の中国棋士となり、180万元の賞金を獲得し、飛び付けで九段昇段となった。

柯潔には多くの呼び名がある。ネットで打つときは「潜伏」というハンドルネームを使っている。少年ナショナルチームでの勝率が極めて高かったのでチームメイトは彼を「柯鎮悪」[金庸の武侠小説『神雕剣侠』の登場人物]と呼んだ。だが囲碁ファンは好んで彼を「柯潔大帝」と呼ぶ。

柯潔は間違いなく、「七小龍」[1976年前後生まれの、常昊、羅洗河、周鶴洋、王磊、邵煒剛、劉菁、丁伝の7人]と「五小虎」[常昊、孔傑、劉星、謝赫、王堯の5人]の後に続く、新しい世代の第一人者であり、中国囲碁界の未来と希望を背負って立つ存在である。

胎教の「薫陶」により現れた神童

1997年9月生まれの柯潔の、囲碁との出会いは、母胎にいるうちから始まっていたと冗談めかして言う人がいる。

柯潔の父、柯国凡は浙江省麗水市の水利工事技師であるが、大の囲碁ファンで、余暇はすべて囲碁に費やし、アマ4段ほどの実力があった。柯潔の母、周柳蓱も碁を打てる人で、市の主催する囲碁大会で成人女子の部ベスト6にまで入ったことがあった。

妊娠してから周柳蓱は仕事を辞め、大きなお腹を支えながら一日中自宅でやっていた碁会所で過ごしていた。そのため、母が10月に妊娠したときから胎児の柯潔が母胎のなかで何よりも耳にしたのは囲碁の音であろう。生まれてきた後は、柯潔は何よりも白黒入り交じる碁石で遊んだ。

2003年9月、6歳の柯潔は師匠の周宗強五段について正式に囲碁を学び始め、すぐに同じ歳の子供の中で頭角を現した。2004年8月、周宗強が湖州に囲碁を教えに行ったとき、柯潔の指導を麗水市のトップ棋士だった鄭一兵に頼んだ。鄭一兵は、他の子供が打ち終わって遊びに出かけているときに、柯潔が一人で静かに碁石を拾い、片付けている様子を見て一目おくようになった。

柯潔は囲碁に夢中で取り組んだので非常な速さで上達した。2004年10月に初めて参加した地元の大会では、16歳以下の部で優勝を果たした。12月に浙江省金華市義鳥で行われた滁州杯では5位となった。2005年2月、囲碁を始めてわずか一年ほどで、浙江省こども囲碁大会の乙クラスでまたも優勝してしまった。

このとてつもない上達の早さのために持ち上げられたこともあって、両親は柯潔を北京の聶衛平囲碁道場に通わせることに決めた。しかし当時の「北漂族」[北京出身ではないが北京に拠点をおいて暮らしている人々]の子供たちはみな柯潔よりも年上で、そのうえ基本的には、アマ三段以上の実力がなければ聶衛平道場に入って学ぶ機会は得られなかった。そのため、道場の責任者コーチである袁衛紅は、柯潔を道場での成績がやや上位の子供と打たせてみた。結果は柯潔の二連勝で、柯潔は道場に入ることになった。

11歳で初段になりプロ碁界へ

1999年に始まった聶衛平囲碁道場は、聶衛平九段を総監督として、兪斌、鄭弘ら国手がコーチを務めており、すでに数十名のプロ棋士を輩出していた。ここで柯潔は飛躍的に棋力を伸ばし、2007年、9歳のときに全国少年囲碁選手権大会で優勝を果たす。2008年、10歳で第25回世界青少年囲碁選手権大会の12歳以下の部で優勝。入段後は、2011年の第28回応氏杯世界囲碁選手権青年の部で優勝している。

2008年に柯潔は入段したが、そのときは少し回り道をしている。2008年7月、11歳のとき、プロ試験で13局打って9勝4敗の成績を収めた。順位は17位で、入団できるのは16人だけだった。だが、プロ試験の規定では、男子はまず上から12人が初段の称号を得て、そして13位から20位の者のうちから、15歳以下(1993年以降生まれ)の4名が棋士として採用されるということになっていた。この規定のおかげで、1997年9月生まれの柯潔は、幸運にも入段の最後の一つのイスを獲得したのである。

2008年、柯潔はプロ棋士となり、雲南チームと契約し、その後は雲南チームの各種棋戦出場に付き添って全国各地に赴いた。だが入段して数日のうちに、失敗を重ね、年若い柯潔はもう囲碁をやめてしまいたいと思うこともあった。

「プロとして打つとなると、感覚がまったく違いました。いきなり別世界に連れて行かれて、みんなものすごく強い」柯潔は他の人と同じように努力したが、対局のときは相手のランクが100位以上であったり、ときには20位以上であることもあった。柯潔は、200位から300位の間をウロウロしていた。成人した棋士相手に、柯潔は負かされに負かされ、結果一年後には、個人戦と段位戦の2つの大会でしか打つことができなくなっていた

柯潔はこの頃を思い出して、幸いにも自分が人一倍負けず嫌いで、強くなってやるという思いがあったので、なんとか乗り越えられたと言う。

ようやくプロの棋戦に慣れてきた柯潔は、2013年の甲級リーグ第17局以降、6連勝の成績を上げてその年の棋戦を終えた。2014年のシーズンで大連上方衛業チームに移ると日の出の勢いとなり、チームが4勝するのに貢献したばかりでなく、甲級リーグの新記録をも打ち立てた。個人では18勝2敗(12連勝含む)の成績で、14年の甲級リーグMVPと最高人気賞を獲得した。

個性あふれる「柯潔大帝」

今の柯潔は、棋士仲間の間でたいへん人気者であるが、それは彼が強いからというだけでなく、彼の明朗な性格とも切り離せない。柯潔はインターネットで人に教えるときも個性的である。囲碁ファンたちと大胆に影響しあうだけでなく、大らかに自分の失敗を自嘲してみせる。ときたま、一部の囲碁ファンにとっては最大の関心事である某名人のゴシップを暴露してしまうこともある。

1月17日の、柯潔の微博(ウェイボー)での初めての投稿を読むと、彼が他の人とは違っているということがわかるだろう。「こんにちは。陽気で背が高く、金持ちでイケメンの柯潔です。もともと微博はやらないつもりでした。ファンがこんなに多いと、嫉妬する人が出てきて不測の事態に巻き込まれかねないからね。でも、世界戦で優勝しちゃったら怖いものがなくなりました。子供のときの夢を達成してしまった以上、ぼくがカッコよくてお金ももっているからと妬んで悪意を持つ人がいても、心配することはないのです。人生自古誰無死、留取丹精照汗青! (人生古より誰か死無からん。丹青を留取し汗青を照らさん[南宋の文天祥の詩の引用]) あと僕は『愛すべき馬鹿』ではないからね」

いかがだろう? これだけでも十分だが、歯に衣着せぬ柯潔はもっとすごいことを言っている。井山裕太と争うことになった去年の阿含桐山杯決勝戦の記者会見で、柯潔は他の棋士のような社交辞令は言わず、自信満々に言った。5手で倒す!」 結果、柯潔は願いどおり、人生で最初の国内大会優勝を果たした。

その自信と若さ、非凡な棋力のために、柯潔は棋士仲間から「柯潔大帝」と呼ばれている。だが実は、柯潔が自分で最も気に入っているあだ名は「潜伏」なのだ。ネットで碁を打つときも、「潜伏」のハンドルネームを使っている。「潜伏」には、黙々と努力をして、自然と外に出る嚢中の錐という意味がこもっていると柯潔は言う。

柯潔の成長は、時代に恵まれたためでもある。インターネットの普及に伴い、囲碁は新時代を迎えた。数年間、柯潔はほとんど毎日ネットで国内外の強豪を相手にし、全部で4000局を打った。「潜伏」して5年目に、満を持して実力を発揮し始めた。2014年、サムスン火災杯世界囲碁大会ではベスト16入りし、天元戦では準優勝した。中国甲級リーグ最優秀新人賞を獲得し、百霊杯で優勝……

10年囲碁をやってきて、最大の収穫は心境が穏やかになり、浮わつくことがなくなったことだと柯潔は言う。囲碁のおかげで開けたものの見方ができるようになり、つまらないことにこだわることがなくなった。これが大局観というものだろうと。「たくさん負かされて、道理というものがわかってきた。あれこれ心配していると、かえって失敗してしまうものだ」

いまだ17歳の柯潔の今後の目標は、中国囲碁界を束ねる人物になることだという。「実現するかどうかにかかわらず、努力して、もがいて、そうすれば後悔はない」

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